混乱期 体験談①
近所の人に通報されたことで繋がった支援
母:70歳 父:他界20年前
長女:40歳 一人っ子 実家同居 非正規職
父親が20年前に癌で亡くなり、それから母娘二人実家で同居暮らしをしていました。
母親は、父亡き後の家計を支える為に定年の65歳まで働いていたのですが、定年後、母親の様子が少しずつ変わり始めました。
「ごはんの上に虫が沢山いるから、捨てて!」、「子供がその椅子に座っている!」など、本当はいないものが、見えると言い始めました。
私は母親の理解出来ない言動に、当初は優しく「そんな人見えないわよ。」、「ごはんには、ゴマをかけているだけよ。」と優しく返事をしていました。
その当時の私は、気丈で何でも相談が出来る母親が、そのように変わっていく姿を受け入れる事ができず、現実を直視せずに見て見ぬふりをしたいと思っていました。
そんな状態から1年経過しても仕事から帰宅すると、相変わらず母親は何度も同じ言動を繰り返していました。
次第に、「そこに、お父さんが座ってごはんを食べているのよ」など、亡くなった父親の話しをする事も多くなり、私はストレスを感じて母親を罵倒する様になりました。そして、そんな毎日に落ち込む日々でした。
当時は、どこへ相談をして良いのかも解らず、まずは病院で検査を受ける事を勧めますが、母親は「私はどこも悪くないし、認知症になんか絶対にならないし、なったら死んでやる。」と言い続け、病院での受診ができませんでした。
当時、私は派遣社員として働いていたため、頻繁に仕事を休む事も出来ず、また、母親が変わっていく姿を、親しい友人にも話せず、隠すことで必死でした。
そんな辛い日々が続く中、母親の症状は明らかに悪化していき、大きな声で泣き出し、「本当にお父さんが、ここに座っているのに!」と怒りを抑えることができなくなっていきました。
私は、近所に母親の叫び声が聞こえないように、家の窓とカーテンを閉め切り、私が仕事へ行くときには、鍵をかけて母親が1人で出かけないようにしていました。
とにかく母親のこの変わり果てた姿を、近所の人や知人に知られたくありませんでした。
ですが、そんな状態を隠す事はできず、近所の人が“叫び声が頻繁に聞こえる”と通報され、警察と地域包括支援センターの職員が家に来ました。
そこで初めて介護保険制度の説明を聞き、その後に医師の診断を受け“レビー小体型認知症”と診断をされ、介護認定で“要介護2”と認定されました。
今では、昼間は介護保険サービスで平日仕事へ行くときにデイサービスを活用し、月に2日間はショートスティを活用して在宅介護を続けています。 もう少し早く、専門職に相談をしていたら良かったと感じています。
介護は、する人もされる人も初心者です。
誰もが、親の変わっていく姿を受け入れる事に時間がかかります。
親も、自身の状態の変化を受け入れる事が出来ないという症状が“認知症”と言う病気です。
1人で抱える事は、介護にとって何の解決にもなりません。
先ずは、介護の支援を受けるため、何でも良いので介護の相談窓口“地域包括支援センター”に相談をしましょう。
地域包括支援センターとは、中学校区に1拠点設置されています。
先ずは、介護をする地域にある地域包括支援センターを確認しましょう。 そこには、保健師、社会福祉士と言う専門職が、介護保険制度に関する制度の支援を教えてくれ、さまざまな方面で支えてくれます。